なぜ日本で外国人問題が噴き出したのか
フランスの失敗に学ばなかった代償
近年の日本では、「外国人犯罪の増加」「在日外国人へのヘイト」「外国人問題の深刻化」といった言葉が、日常的に語られるようになった。 かつては一部の極端な意見として扱われていた話題が、今では多くの国民にとって現実的な不安として共有されている。
しかし、ここで冷静に考えるべき点がある。 現在起きている外国人問題は、外国人そのものが原因なのではない。 制度を作るべき立場にあった政治が、問題が起きると分かっていながら法整備を怠った結果として噴き出している現象である。
まず、外国人犯罪の増加についてだ。 犯罪統計の見え方には注意が必要だが、体感治安の悪化や、特定地域でのトラブル増加が事実として認識されている以上、国民の不安を単なる偏見として切り捨てることはできない。 重要なのは、「なぜ問題が集中して起きるのか」という構造である。
多くのケースで共通しているのは、低賃金、不安定な雇用、言語能力不足、地域社会との断絶だ。 つまり、犯罪やトラブルは、個人の資質以前に、無秩序に人を受け入れ、管理も統合も行わなかった制度の欠陥から生じている。
日本は長年、「人手不足」を理由に外国人労働者を受け入れてきた。 しかし実際には、人手が足りなかったのではない。 安い賃金で、厳しい条件でも働く人間が足りなかっただけである。
賃金を上げ、労働条件を改善すれば、日本人の中にも働く人は存在した。 それをせず、労働者をコストとして扱い続けた結果、低賃金構造を維持するための代替労働力として外国人が利用された。 その受け入れが拡大したのが、安倍政権期である。
問題は、受け入れの是非そのものではない。 受け入れに伴う法制度の整備を意図的に先送りしたことにある。
定住を前提とするのか、一時労働なのか。 最低賃金をどう担保するのか。 日本語能力や法遵守をどこまで義務付けるのか。 違反時にどのような制裁を科すのか。
これらを法で明確にせず、「移民政策ではない」という言葉で逃げ続けた結果、現場と自治体にすべての負担が押し付けられた。
その結果として起きているのが、現在の外国人犯罪の増加や地域トラブルであり、それに対する国民感情の悪化である。 制度の失敗が、外国人への不信感を生み、それがヘイトへと転化していく構造が出来上がってしまった。
ここで重要なのは、ヘイトの拡大もまた、制度不備の副産物であるという点だ。 国家がルールを示さず、違反を放置すれば、不満は必ず社会の弱い部分へ向かう。 それは外国人にとっても、日本人にとっても不幸な結果しか生まない。
この構造は、すでにフランスで確認されている。 フランスでは、低賃金労働を補うために移民を受け入れ、同化や統合を制度として徹底しなかった結果、郊外に分断された社会が固定化した。 治安の悪化と移民への反発が同時に進行し、今では修正が困難な段階にまで至っている。
フランスの失敗は、移民が悪いから起きたのではない。 受け入れと管理、権利と義務を制度として設計しなかった国家の失敗である。
日本は本来、この失敗から学ぶ立場にあった。 しかし現実には、与党も野党も、外国人受け入れ拡大に本気で反対せず、法整備を進めなかった。 その一方で、問題が顕在化した今になって「外国人の労働環境が悪い」「差別が問題だ」と言い出す姿は、あまりにも無責任だ。
少子化問題も、この延長線上にある。 労働条件が悪く、将来が不安で、社会保障が弱い国で、子どもが増えることはない。 この根本問題を放置したまま、労働力不足を外国人で補えば、社会の歪みが拡大するのは当然だ。
本来、日本が目指すべき姿は明確だ。 国民が安定した雇用と十分な賃金を得て、将来に希望を持てる社会を作ること。 その結果として、出生率が回復し、外国人労働力への依存が減る。
外国人を受け入れるにしても、低賃金労働の穴埋めではなく、トップ技術者や高度専門職の戦略的な獲得に限定すべきだ。 研修制度の名を借りた労働力輸入は、国内の賃金を壊し、社会不安とヘイトを生むだけである。
現在の外国人問題は、偶然でも不運でもない。 人をコストとして扱い、制度設計を怠った政治の結果である。
外国人犯罪の増加も、在日外国人へのヘイトの拡大も、すべては国家が本来果たすべき役割を放棄した帰結だ。
問題の矛先を外国人個人に向け続ける限り、この国はさらに分断される。 必要なのは、感情論でも排外主義でもない。 法制度を整え、秩序を回復し、国民が安心して暮らせる社会を作ることだ。
それができなければ、日本はフランスと同じ道を、遅れて辿ることになる。

コメント
コメントを投稿