芸能人の政治的発言
影響力をもつ発言者の歴史認識の危うさ 俳優・宍戸開氏がXで「現総理の発言が戦争を誘発しかねない」と主張した投稿に対し、以前から強い違和感を抱いていた。その違和感が何によるものなのか、しばらく自分でも整理できずにいたが、ようやく理由が明確になった。それは、彼の発言の根本に「現在の日本人まで戦争の罪を負っているかのように扱う姿勢」が潜んでいる点である。 私たち現在の日本人は、日本人ではあっても「戦争の当事者」ではない。現在の総理大臣も、国会議員も、国民も、戦争を決定した立場にいたわけではなく、戦時の判断や政策に関与したわけではない。戦前を生きた世代と、戦後に生まれた世代は、歴史上まったく別の存在であり、その責任や立場を同一線上に並べること自体に無理がある。 にもかかわらず、宍戸開氏の言動には「戦争の加害の歴史を直視しない政治家」=「戦争を誘発する危険人物」という極端な構造が見え隠れする。これは、あたかも“罪の継承”を求めるかのような思想であり、違和感を覚えるのは当然である。 もし、この思想を徹底して適用するのなら、極端な話、宍戸氏自身が反日的だと取られかねない発言をした場合、その子孫も永遠に批判されても構わない、という理屈になってしまう。しかし、当然ながら彼はそんなことは望んでいないはずだ。つまり、彼はそこまで考えて発言しているわけではなく、「日本は戦争をした国だから批判してもよい」という短絡的な感覚のまま、SNSで意見を述べているように見える。 だが、日本は彼一人のものではない。社会的な影響力を持つ人物が、公の場であるSNSで政治的な断定を行うことには、一定の責任が伴う。その責任を自覚せずに、過度に単純化した歴史観を拡散することは、社会に誤解を生み、偏った見方をもたらす恐れがある。 さらに問題なのは、宍戸氏が「政治家の強い発言」をそのまま「戦争の準備」と短絡的に読み取ってしまっている点である。外交というのは、牽制や立場表明、抑止、交渉材料としての発言が日常的に行われる場であり、“戦争を望む意思”とはまったく別物である。しかし宍戸氏の主張は、これらの複雑な外交上の要素をすべて省き、政治家が強い表現を用いた=危険人物、と解釈してしまっているように見える。 これは、警察官や自衛隊が拳銃を所持していることに対し、「拳銃を持っているのだから、いつか...