グリ下殺人事件の記事を読み思うこと
道頓堀殺人事件と「グリ下」という象徴
見えていなかったもの、見ようとしなかったもの
今回の大阪・道頓堀で起きた殺人事件は、単なる一つの凶悪事件として消費されるべきものではないと私は考えている。もちろん、命が奪われた事実そのものは重く、被害者や家族の悲しみは計り知れない。しかし、その背景を見ずに「最近は治安が悪い」「グリ下は危険だ」といった表面的な言葉だけが独り歩きすることには強い違和感を覚える。
事件が起きた場所は、いわゆる「グリ下」と呼ばれるグリコ看板下周辺である。観光地として世界的に知られ、昼夜を問わず人が行き交う場所だ。しかし同時に、昔からその場所をよく知るものとしては、決して無菌状態のエリアではなかった。薬物の取引、家出少年少女のたまり場、客引き、半グレ的集団の出入り。そうした空気は、少なくとも三十年以上前から存在している。
にもかかわらず、事件が起きるたびに「最近のグリ下は近づかない方がいい」「治安が悪化している」と書く記事を見ると、まるで以前は安全で平穏な場所だったかのような印象操作が行われているように感じる。
本当に「最近」なのか。
ミナミ、道頓堀周辺は、三十年以上前から危ない。夜の顔と昼の顔を持つ街であり、観光地であると同時に裏の経済が動く場所でもあった。酔客同士の喧嘩、恐喝まがいのトラブル、暴力団関係者の出入り。これらは決して目新しいものではない。
では、何が変わったのか。
私は、変わったのは「危険の存在」そのものではなく、「危険の管理構造」だと考えている。
暴対法が施行され、さらに暴力団排除条例が広がって以降、日本社会は暴力団という存在を徹底的に排除する方向へ舵を切った。それ自体は、理念としては理解できる。暴力団は違法行為を行う組織であり、被害者も多い。
しかし、ここで重要なのは、暴力団を肯定するか否定するかではない。暴力団が社会に与えていた構造的影響を冷静に見る必要があるということだ。
暴力団は、警察に把握される存在だった。構成員や準構成員は名簿化され、組織の系譜も把握され、事務所の所在地も明確だった。指定暴力団という枠組みの中で、警察は「どこに誰がいるか」をある程度管理できていた。
さらに、暴力団には暴力団なりの内部ルールがあった。勝手な暴走は制裁対象になり、シマの秩序を乱す行為は組織の不利益になる。一般人への無差別な暴力は御法度とされることも多かった。もちろん例外はあるが、少なくとも「組織的抑制」は存在していた。
同時に、家出少年少女や、行き場を失った若者の受け皿になっていた側面もある。健全とは言えないが、閉じた枠の中で吸収され、統制されていたという現実があった。
暴対法は、その枠を壊した。
問題は、壊した後をどう設計するかを十分に考えたのか、という点である。
暴力団が縮小し、表立った活動が困難になったことで、確かに組織犯罪の見える部分は減少した。しかし、社会からこぼれ落ちる若者が消えたわけではない。犯罪需要が消えたわけでもない。薬物の市場が消えたわけでもない。
管理されていた危険が、管理されない危険へと変わった。
半グレと呼ばれる緩い結合体は、名簿も上下関係も明確でない。出入り自由で、離脱自由で、責任の所在が曖昧だ。外国人マフィアに至っては、本拠地が海外にあり、日本の警察権限が及びにくい。国際的な連携が必要になり、捜査は格段に難しくなる。
これらは、従来の暴力団よりも把握が難しい存在である。
グリ下のような場所は、その象徴だ。人の流動性が高く、観光客が多く、若者が集まり、匿名性が確保されやすい。組織的なシマ管理がなくなれば、そこは自然と「空白地帯」になる。
私は暴力団を必要悪だと言いたいわけではない。だが、結果として、暴力団が半グレや外国人マフィアの防御壁になっていた側面があったのではないかという疑問は消えない。
外国人マフィアが今ほど目立たなかったのはなぜか。半グレ的集団がここまで表に出ていなかったのはなぜか。それは、暴力団という既存勢力が、シマを守り、外部勢力の侵入を抑えていたからではないのか。
暴対法を設計した人々は、家出少年少女の問題をどう考えていたのか。外国人犯罪組織の流入をどう見ていたのか。排除した後の社会像を、どこまで具体的に描いていたのか。
単に「暴力団を減らす」という数値目標だけで制度を作り、空白に何が流れ込むかを軽視していなかったか。
現在のグリ下の空気は、「最近悪くなった」のではない。三十年以上前から危ない場所だった。しかし、かつてはある種の見えない統制が働いていた。今はそれがなくなり、誰も責任を持たない危険が漂っている。
管理可能な危険と、管理不可能な危険。どちらが社会にとって扱いやすいか。
今回の殺人事件を単発の悲劇として消費するのではなく、制度と構造の問題として考えなければ、同じような事件は繰り返されるだろう。
「最近は治安が悪い」と書くのは簡単だ。しかし、三十年以上前から危なかったという事実を直視し、その上で何が変わったのかを掘り下げることこそが、本来必要な議論ではないか。
私はそう考えている。

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